今日もベランダ日和

琴線に触れたニュースや出来事の感想をまとめていく場所になる…予定です

70日目 いい加減日常に戻していく

一度やめてしまった習慣を取り戻すのは大変。

筋トレ然り、ブログ然り。。。

 

 

入院してたのは2ヶ月も前。

筋トレも普通にして大丈夫。

 

にもかかわらず、どっちもきちんと再開できてない。

 

しっかりせねば!!

 

 

と、いうことで、筋トレのアプリ入れてみた。

 

play.google.com

 

実は、昔たまに使ってたんだよね。

自分の筋トレの進捗で、回数とか負荷とか調節してくれるから便利で。

 

1ヶ月で体作らないといけない、とかよくあったのでこれの「4週間チャレンジ」ってやつに頼ってた。

 

なので、今回も同様、4週間チャレンジで体を元に戻そうと。

 

今日早速やったけど、大した回数じゃないのにもう腕がプルップル。

 

でも、体に刺激与えるの久しぶりだから気分は良い。

 

さて…なんか色々仕事終わってないけど。。。明日だ明日。

 

今日一杯は怠惰に生きるぞ。

69日目 日常の運動量

安静にしている期間が長かったから、それはもう体力が落ちた。

 

会社までの通勤でもぐったり。パソコン見るのも疲れる。

特にお腹に力を入れないようにすることに慣れてしまったせいで、ほんとちょっとしたことで腹筋にくる。

 

仕事のカバン持つときとか、寝起きに体を起こす時。

あと先週気づいたのは、腕立て伏せが腕や胸じゃなく、腹がキツくてできない。

いやあ、やっぱし大変ですな。

 

筋トレ、メモ取り始めてからの数字見ると、ほんとにこういう事できるようになるのかちょっと不安。。。

しかも、食べる量だけはちゃっかりもとに戻ってるし。

 

これは相当運動量増やさないといかんな。

 

何か、北海道はいつの間にかコロナ感染者が過去最多。

ジムにも容易に行けないね。

ま、すくなくとも家での筋トレでヘロヘロになってる状態でジムなんてね。

 

明日は家族全員で予防接種行ってくる。

 

あ、コロナじゃなくインフルエンザのやつね。

いまインフル流行ったらやばそうだね。

 

さて。もう寝ますかね。

68日目 再始動

8月の緊急入院から、9月に手術。

いやもう、ホント滅入った。

 

またお腹に穴開けたから、これまで頑張ってきた筋トレもできない。

ブログ書こうにも「今日もお腹痛い」「病理の結果が不安」とかそういう事しかなくて書いてるうちにそれはそれで滅入ってくる。

 

なんてやってるうちに、最終更新から1ヶ月以上も経ってしまった。

てやんでぃ、100日連続更新するんじゃねぇのかこんちくしょう。

 

実は、先週末から筋トレは再開してた。

ほんと、健康維持程度の回数しかできないけど…

で、そんな筋トレのメモもサボってる…と。ほんとに一度終わらせてしまった習慣を再開させるのは難しい。。。

 

そしてまだ、腹筋は怖くてできない。

いや、大丈夫なんだと思うけど。でもまだ怖い。なんとなく違和感ある日もあるし。

 

そして、メンタルもガタガタっと崩れてしまって、特に週始めの朝がやばい。

なんとか何も考えずに一日やり過ごそうとすると、家の鍵忘れたり弁当忘れたり…とにかく抜け漏れが増える。

 

色んな要因はあるけど、なんとかまた今週いっぱいやり過ごせるように頑張ろう。

 

さて、ブログもやっと復活の一歩を踏み出せたし、ここから更新できるように頑張るぞ。

明日も、朝ヤバそうだけど…とにかく無理せずつつがなく生きる!

67日目 猪木プロレスと、次の新日両国大会と

猪木さんへの思いを吐き出したら燃え尽きました。

 

しばし、NJPWワールドで猪木さんの試合を見る日々。

 

全盛期を見てた世代ではないし、所謂『三銃士世代』の僕にとって、バリバリの昭和プロレスはあんまり馴染めない。

 

でも、勉強のつもりで見始めると、プロレスの予定調和を崩すために色んな工夫をしてることに気付く。

 

ロープブレイクに気づかずに3カウントを叩いてしまい、再試合になったり。

 

絶対勝つべき選手がコロッと負けちゃったり。

 

無気力な外国人レスラーがその場で思いっきり制裁食らったり。

 

 

なにより猪木さん自身の表情。

 

痛みが伝わる…とか、気合が入ってる…とかそういうレベルじゃない。

 

喜怒哀楽が表情で全部伝わってくる。

 

いや、基本的にはずっとピリッとした表情なのよ?なのに、感情がハッキリ伝わってくる感じ。

 

これはなかなか今の選手では出せないなあ…。

 

よく、現世代に対して「怒りが足りねえ」「怒ってみろ!」って言ってたけど、これって言葉そのままの意味ではなく「リアルな感情を吐き出せ」って事だったんだろうと思う。

 

まあ…やっぱり引退後の猪木さんを見ている期間の方が長かった身としては手放しに褒めてばかりという気にもなれないけど…。

 

 

 

 

さてさて、そんな猪木さんが作った新日本プロレスが週明け10.10(ジュッテンジュウ)両国大会だ。

 

まさに「今のプロレスファン」であるうちの息子(小5)は、タマ・トンガの世界ヘビー奪取に期待しているようだが…まあ、難しいよね(汗)

 

予定調和が崩れる瞬間を見たいけど…予定調和を予定調和として楽しむのもプロレスの楽しみ方。

 

今回は、試合結果ではなく内容を楽しみたい。

 

ああ、気づけば今年も残り3ヶ月。イッテンヨンもあと少しじゃん。

 

楽しみー。

66日目 超人・アントニオ猪木の思い出

アントニオ猪木が亡くなった。

 

包み隠さずいえば僕にとって…いやいや。僕だけじゃない。絶対僕だけじゃなくて。

現在40歳前後のプロレスファンにとって、アントニオ猪木は「やっかいなじいさん」だったはずだ。

 

90年代後半。高田延彦ヒクソン・グレイシーに惨敗し、うっすら見えていた黒船の影が一気に日本プロレス界を覆ったころ、猪木さんは引退した。

 

次は前田か?船木か?誰がプロレス最強を証明するんだ!?誰が溜飲を下げてくれるんだ!?という時期に行われた猪木さんの引退試合は、元UFCチャンピオン…いわゆる『あっち側の世界』から来たバリバリの格闘家、ドン・フライ

 

1年前くらいから新日本に参戦し、異種格闘技戦を戦ってきたドン・フライを相手に、猪木さんは延髄斬り、ナックルパート、コブラツイストという堂々とした"プロレス"を貫き、引退試合を勝利で飾り、有名な『道』のスピーチのあとリングを降りた。ドン・フライのプロレスへの適応力も含めて、素晴らしい引退だったと思う。

 

よく言う『猪木信者』にとって、猪木さんのストーリーはここで終わっているのだろうか。

 

全盛期を見ていない、90年代からプロレスを見始めた世代にとって、猪木という人物を印象づけたのはむしろこのあとだったのではないだろうか。

 

引退後の猪木は、総合格闘技団体『PRIDE』のエグゼクティブ・プロデューサーに就任する。

 

周囲は、シレッと黒船に同乗してるプロレス村の村長を冷ややかに見つめていたが、村長はお構いなしに自分の抱える選手たちを次々PRIDEに送り込む。

 

よくこの時期の歴史を振り返ると「PRIDEに上がったプロレスラーが次々惨敗し…」などと語られるが、実はそうでもない。

 

PRIDE10くらいまでのプロレスラー初参戦時の戦績を振り返ると

 

高田延彦ヒクソン・グレイシーに惨敗

・佐野なおき=ホイラー・グレイシーに敗北

桜庭和志=バーノン・ホワイトに一本勝ち

アレクサンダー大塚=マルコ・ファスを戦意喪失に追い込みKO勝ち

小川直也ゲーリーグッドリッジに一本勝ち

藤田和之=ハンス・ナイマンに一本勝ち

 

 

と言ったところで、実はそれほど戦績は悪くないのだ。

しかし、これに気を良くした猪木が、自身の冠大会である「イノキボンバイエ」や、新日本プロレス内で行われた総合格闘技興行「アルティメットクラッシュ」で新日本の中でも格闘技的な強さに幻想を持たれていた永田裕志中西学石澤常光総合格闘技やキックボクシングの試合に出させていずれも惨敗。

一方でプロレス界では決して名声の高くない安田忠夫が大物ジェロム・レ・バンナに一本勝ちしたりと、プロレスファンに見えていた景色とは随分違う結果になった。

このあたりで、ファンとしても『結局強いやつは強いし、弱いやつは弱い。ジャンルの問題ではない』という結論に傾きかけていて、もう格闘技はいいから本来のプロレスに戻ってきてほしいと思っていたが、猪木の強権は止まらなかった。

 

デビューしたばかりのレスリングエリート・中邑真輔を格闘技戦でデビューさせてダニエル・グレイシー相手に惜敗。更にIWGPのベルトを巻いた状態で大晦日のリングに上げるが当時K1の中堅だったアレクセイ・イグナショフ相手に膝蹴りで轟沈(試合はのちに無効試合となるが…)。

 

猪木の強権は新日本のリングでも動き、ドーム大会2日前にファン投票で決められた対戦カードを覆したり、思い出すのもおぞましい総合格闘技のバトルロイヤル『アルティメットロワイヤル』などハズレ企画を連発。

 

新日本プロレスは自他ともに認める暗黒時代に突入することになる。

 

暗黒時代をいつからいつまでとするかは明確ではないが、ハッキリと言えるのは「アントニオ猪木新日本プロレスの株を手放し、身売りに動いたところから回復が始まった」という事だ。

 

ファンとしても、新日本プロレスの『ファンよりも猪木の命令を優先する姿勢』を『神の一声』と揶揄しており、猪木が株を手放したことで、これで新日本プロレスも回復するのかな?という期待をしており、実際ここから本来のプロレス路線に戻っていったように思う。

 

猪木さんは、それ以降も新日本に対して「闘いがねえよ」と批判し、ほぼ絶縁。新たに『IGF』を立ち上げる。

 

正直、魅力的なカードが組まれることは多くなかったが、猪木のネームバリューのせいかいつもそこそこの集客だった。

 

試合自体は、元K-1王者のピーター・アーツジェロム・レ・バンナを逆エビ固めで下すなど、ちょっと考えた人連れてきてほしいレベルの試合を連発。

 

こんな所にシェアが食われてるのか…と落ち込んだものだが、そんなIGFもいつの間にかフェードアウト。

 

新日本は『第三次黄金時代』と呼ばれる盛り上がりを見せて、いつのまにか現世代のエース、オカダ・カズチカと猪木さんが対談を行ったりするようになっていた。

 

これまで燻っていた遺恨などなかったかのように、現・新日本プロレスでは猪木さんを偉人として扱っている。

 

 

 

 

 

 

まあ、こうして振り返って見ても、あの頃の猪木さえいなければ、と思うんだけど…思うんだけど……

 

いや、ぶっちゃけどうなってたんだろう。あのとき猪木さんがいなかったら。

 

なんとなく総合格闘技と距離をおいた新日本プロレスが「ほら、ストロングスタイルとか言って格闘技戦から逃げてんじゃねえか」と言われ、結局暗黒期を迎えていたのではないだろうか。

 

そして猪木を悪者にして行なった「格闘技路線から純プロレス路線に」という転換もうまくできず、そのまま衰退していたという歴史もありうるのではないだろうか。

 

15年前、あの時の猪木が嫌いだった身分で、死人を美化するようで恥ずかしいが、でもいま振り返ると本当にそう思う。猪木は猪木なりに、新日本プロレスを、プロレス界を守っていたのではないだろうか(いや…本人自身にどこまでその自覚があるかは置いといて)

 

 

そう思えば、やはりこの言葉に尽きる。

 

猪木さん、プロレス界を盛り上げてくれてありがとうございました。

猪木さんがいなければ、現在のプロレス界は間違いなく存在していなかったと思います。

これからも、日本プロレス界の発展を、どうかお祈りください。

65日目 書きたいことがない、ということも書いていくって決めたじゃないか

タイトル通りだが、まあ書きたいことがない。

 

前回も書いたが、退院後はとにかく普通の生活を送ることで一杯になってしまい、周りの何かを楽しむ余裕がない。

 

そして、やっぱりこのコロナで、外で遊べないのが結構効いてる気がする。

 

喋りたい。

 

家と仕事の往復だと、家のことも仕事のことも嫌な部分ばかり見えてしまう。

 

子どもたちが寝て、ようやく自分の時間だと思ってSwitchの電源入れるんだけど、実際そこまでやりたいゲームもない。。。

 

いや、本当はあるんだけど、集中できない。

 

困った。楽しくない…。

 

仕方ないから、とりあえずもうねる(汗)

64日目 退院から1週間

ほんと今更なんですけど「〇〇日目」とかって、てめー日付空きまくってるクセにシレッと日付更新してんじゃねえって自分で思ってますすいません。

 

ともかく、続けることに意義があると思って…こんな形ですがちゃんと100日目まで行きます。

 

で。

 

退院から1週間たちました。

 

まだ1週間か・・・という気持ちと、そもそも救急搬送されてから1ヶ月くらいしか経ってないのか、とか。

 

いまはというと、腹腔鏡手術であけたおへその傷がとにかくかゆい。

 

前回、ここまでかゆくなかったような…いやわかんないな。そうだったかも。

 

とにかく退院前に「腸壁ヘルニアのリスクが人より高い」と言われたことにビビっちゃってやたらおへそを気にしちゃう。

 

次、週末に経過観察で通院するからその時聞いてみよう。

 

さて。明日から出勤業務になる。在宅勤務ともおさらば。

 

ぶっちゃけ、在宅で全く問題のない業務をわざわざ出勤にこだわってる事も、このごに及んでまだ勤務見直しがされないうちの会社には驚くが、まあ仕方ない。

 

ともかく明日、早起きして頑張って会社行きます。