今日もベランダ日和

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66日目 超人・アントニオ猪木の思い出

アントニオ猪木が亡くなった。

 

包み隠さずいえば僕にとって…いやいや。僕だけじゃない。絶対僕だけじゃなくて。

現在40歳前後のプロレスファンにとって、アントニオ猪木は「やっかいなじいさん」だったはずだ。

 

90年代後半。高田延彦ヒクソン・グレイシーに惨敗し、うっすら見えていた黒船の影が一気に日本プロレス界を覆ったころ、猪木さんは引退した。

 

次は前田か?船木か?誰がプロレス最強を証明するんだ!?誰が溜飲を下げてくれるんだ!?という時期に行われた猪木さんの引退試合は、元UFCチャンピオン…いわゆる『あっち側の世界』から来たバリバリの格闘家、ドン・フライ

 

1年前くらいから新日本に参戦し、異種格闘技戦を戦ってきたドン・フライを相手に、猪木さんは延髄斬り、ナックルパート、コブラツイストという堂々とした"プロレス"を貫き、引退試合を勝利で飾り、有名な『道』のスピーチのあとリングを降りた。ドン・フライのプロレスへの適応力も含めて、素晴らしい引退だったと思う。

 

よく言う『猪木信者』にとって、猪木さんのストーリーはここで終わっているのだろうか。

 

全盛期を見ていない、90年代からプロレスを見始めた世代にとって、猪木という人物を印象づけたのはむしろこのあとだったのではないだろうか。

 

引退後の猪木は、総合格闘技団体『PRIDE』のエグゼクティブ・プロデューサーに就任する。

 

周囲は、シレッと黒船に同乗してるプロレス村の村長を冷ややかに見つめていたが、村長はお構いなしに自分の抱える選手たちを次々PRIDEに送り込む。

 

よくこの時期の歴史を振り返ると「PRIDEに上がったプロレスラーが次々惨敗し…」などと語られるが、実はそうでもない。

 

PRIDE10くらいまでのプロレスラー初参戦時の戦績を振り返ると

 

高田延彦ヒクソン・グレイシーに惨敗

・佐野なおき=ホイラー・グレイシーに敗北

桜庭和志=バーノン・ホワイトに一本勝ち

アレクサンダー大塚=マルコ・ファスを戦意喪失に追い込みKO勝ち

小川直也ゲーリーグッドリッジに一本勝ち

藤田和之=ハンス・ナイマンに一本勝ち

 

 

と言ったところで、実はそれほど戦績は悪くないのだ。

しかし、これに気を良くした猪木が、自身の冠大会である「イノキボンバイエ」や、新日本プロレス内で行われた総合格闘技興行「アルティメットクラッシュ」で新日本の中でも格闘技的な強さに幻想を持たれていた永田裕志中西学石澤常光総合格闘技やキックボクシングの試合に出させていずれも惨敗。

一方でプロレス界では決して名声の高くない安田忠夫が大物ジェロム・レ・バンナに一本勝ちしたりと、プロレスファンに見えていた景色とは随分違う結果になった。

このあたりで、ファンとしても『結局強いやつは強いし、弱いやつは弱い。ジャンルの問題ではない』という結論に傾きかけていて、もう格闘技はいいから本来のプロレスに戻ってきてほしいと思っていたが、猪木の強権は止まらなかった。

 

デビューしたばかりのレスリングエリート・中邑真輔を格闘技戦でデビューさせてダニエル・グレイシー相手に惜敗。更にIWGPのベルトを巻いた状態で大晦日のリングに上げるが当時K1の中堅だったアレクセイ・イグナショフ相手に膝蹴りで轟沈(試合はのちに無効試合となるが…)。

 

猪木の強権は新日本のリングでも動き、ドーム大会2日前にファン投票で決められた対戦カードを覆したり、思い出すのもおぞましい総合格闘技のバトルロイヤル『アルティメットロワイヤル』などハズレ企画を連発。

 

新日本プロレスは自他ともに認める暗黒時代に突入することになる。

 

暗黒時代をいつからいつまでとするかは明確ではないが、ハッキリと言えるのは「アントニオ猪木新日本プロレスの株を手放し、身売りに動いたところから回復が始まった」という事だ。

 

ファンとしても、新日本プロレスの『ファンよりも猪木の命令を優先する姿勢』を『神の一声』と揶揄しており、猪木が株を手放したことで、これで新日本プロレスも回復するのかな?という期待をしており、実際ここから本来のプロレス路線に戻っていったように思う。

 

猪木さんは、それ以降も新日本に対して「闘いがねえよ」と批判し、ほぼ絶縁。新たに『IGF』を立ち上げる。

 

正直、魅力的なカードが組まれることは多くなかったが、猪木のネームバリューのせいかいつもそこそこの集客だった。

 

試合自体は、元K-1王者のピーター・アーツジェロム・レ・バンナを逆エビ固めで下すなど、ちょっと考えた人連れてきてほしいレベルの試合を連発。

 

こんな所にシェアが食われてるのか…と落ち込んだものだが、そんなIGFもいつの間にかフェードアウト。

 

新日本は『第三次黄金時代』と呼ばれる盛り上がりを見せて、いつのまにか現世代のエース、オカダ・カズチカと猪木さんが対談を行ったりするようになっていた。

 

これまで燻っていた遺恨などなかったかのように、現・新日本プロレスでは猪木さんを偉人として扱っている。

 

 

 

 

 

 

まあ、こうして振り返って見ても、あの頃の猪木さえいなければ、と思うんだけど…思うんだけど……

 

いや、ぶっちゃけどうなってたんだろう。あのとき猪木さんがいなかったら。

 

なんとなく総合格闘技と距離をおいた新日本プロレスが「ほら、ストロングスタイルとか言って格闘技戦から逃げてんじゃねえか」と言われ、結局暗黒期を迎えていたのではないだろうか。

 

そして猪木を悪者にして行なった「格闘技路線から純プロレス路線に」という転換もうまくできず、そのまま衰退していたという歴史もありうるのではないだろうか。

 

15年前、あの時の猪木が嫌いだった身分で、死人を美化するようで恥ずかしいが、でもいま振り返ると本当にそう思う。猪木は猪木なりに、新日本プロレスを、プロレス界を守っていたのではないだろうか(いや…本人自身にどこまでその自覚があるかは置いといて)

 

 

そう思えば、やはりこの言葉に尽きる。

 

猪木さん、プロレス界を盛り上げてくれてありがとうございました。

猪木さんがいなければ、現在のプロレス界は間違いなく存在していなかったと思います。

これからも、日本プロレス界の発展を、どうかお祈りください。