58日目 【後編】3年かけて息子が自分の居場所を見つけた話
まあ、コロナの話を今更しても仕方ないんだけど…
北海道は、道知事の動きが相当早くて、他県よりも先に緊急事態宣言を発令させたと記憶している。
それによって、デイサービスも学校も休みになった。下の子の保育園はなんとか卒園まで運営してくれた。
卒園式の祝辞みたいのを僕がやったが、めちゃくちゃ恥ずかしかった。もう2度とやらない。
いまにして思えばすごい事だけど、感染者数が1桁みたいな日がしばらく続いて、4月の始業式(下の子の入学式)は通常に行われた。…けど、そこからすぐまた感染者数が増えて4月の新学期開始直後にまた休校、というような流れだった。
今度は、小学校だけでなく上の子の高校も、ついでに妻の仕事も休業となり僕は夜勤の仕事が無くなってしまった。
(夜勤の仕事については契約上問題もあったんだけど、それはここでは割愛)
ここで、入学したばかりの下の子が、学校に行けない事を寂しがって「ねえ、学校ってどんなことするの?」「どんな行事があるの?」としきりに聞いてくる。
それを聞いてた息子が、あんまり知らないくせに「小学校は、運動会と学芸会があって・・・給食食べて・・・」とか頑張って説明してて。
そのまま妹の『学校ごっこ』に付き合ったりしながら休みを過ごすうちに、下の子が「学校でちゃんと過ごせるかわかんない、こわい」と言い始めるようになった。
そのたびに「大丈夫だよ、僕も一緒に行くんだから」と答えていて『そんなこと言って大丈夫!?』と思ったんだけど…
いざ、休校が明けたらシレっと二人で学校行くようになった。
ほんと、拍子抜けするくらいあっさり。毎日遅刻もせず学校に行くようになった。
学校での授業も普通に受けているらしい(だいぶ遅れは出てるけど…)
どうやら『これは自分にしかできない事だ』と思うと体が動くらしい。
今までは『自分がいなくても誰も困らない』『自分が必要とされる場面は、学校にはない』と思っていたからいけなかったけど。
少なくとも、妹の不安に寄り添えるのは自分しかいない。だから学校に行く。
更に、いざ学校に行ってみると、いつのまにか下級生がいて、更に自分よりも重い障がいを持つ児童も沢山いる。
移動時に物を持ったり、人に何かを説明したり。場をまとめたり…自分の力が必要な場面は思っていた以上に多かったようだ。
そうして、息子の登校拒否は終わった。ここからは、コロナの学級閉鎖と病欠以外は毎日学校に行っている。
僕も、そこでようやく本格的に就職できるようになり、約2年ぶりに定職に就いた(まあ、そこからまた転職したけど)
支援級の級長になって、今日はあんなことをした、と聞いてもいないのに沢山教えてくれるようになった。
来週、普通級の子達と一緒に宿泊学習に行くが、それも楽しみなようでせっせと準備をしている。
ここまでの2年、仕事できなくてお金もかかったし、ゴール見えなくてほんと神経もすり減った。
ついでに言えばこれが全然ゴールじゃなくて、将来的な進路や就職の事、壁も課題も山積みだけど…
まずは今、子供たちが学校生活を送って、自分は仕事に出られているというこの状況に感謝して、毎日を送りたい。