今日もベランダ日和

琴線に触れたニュースや出来事の感想をまとめていく場所になる…予定です

55日目 ワークライフバランスに振り落とされた5年間

RSが蔓延しきって、地獄のようだった。

なぜか長男と僕だけ元気。

木曜夜に、妻から「ねえ…明日一日仕事なの?」という圧が入り、泣く泣く会社に金曜有休をもらった。
(もう限界だから、助けてほしいって素直に言えないもんかね…)

自分が病気の子供達を見て、妻は外に出ててもらった。

家族のために働いてるんだから、家族が助けを求めてきたらそっちを優先するのが当然。

仕事は、今日明日休んだくらいでいきなり給与下げられたりしないから。

と言いつつ…悩む。家にいる間中、ずーっと悩む。

 

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脇目も振らず働いてたあの日は、ほんの4~5年前。

週2~3回は夜中まで働いて、休みには子供達と公園で遊んで、たまにはむ太郎んとこ遊びに行って実況動画撮って。

自分は会社に必要とされていたし、部署の運用構築に携わっていて忙しかったけど本当、毎日やりがいがあった。

でもそれが、子供達の発達の遅れが見えてくるにつれて段々と保てなくなってきた。

同級生と折り合えなくて不登校になった息子、なぜかそれにつられる形で登園できなくなった娘。

最初は妻が仕事を辞めて子供を見ていた。

でも、ずっと家にいる事を強いられることと、子供が思うように成長してくれないストレスで妻のメンタルが落ち着かなくなり、泣いたり落ち込んだりしてる様子が多くなってきた。

思い通りに動いてくれない子供にあたったり、一日中寝たまま過ごしていたりという事が増えてきた。

このままだと良くないと思い、時間の自由が利く仕事にしようと思い転職して、仕事以外はなるべく家にいるようにしたが、状況はどんどん酷くなっていく。

家の中で、常にだれかが泣いたり怒ったりしている。

ああ、もうダメだ。どこにも行きたくない、誰とも喋りたくない。この地獄から抜け出したい。逃げたい、逃げたい。

あの日から僕は、仕事に行けなくなった。いわゆる完全なうつ症状だった。

仕事に行くなんてもってのほかだが、仕事にも行けずただただ動けなくなっている自分を受け入れるのも相当苦しかった。

多分だけど、自分がああいった状況に陥るまで、まともな仕事をしていない人を自分自身が見下していたのだと思う。

そんな立場に自分がなってしまったことの不安とか絶望とか、そういう気持ちがお腹からボロボローっと出てくるような映像が視覚的に(もちろん自分の妄想上のものだという自覚はあるが…)見えてきて、ゾクゾクと毎日おぞましい気持ちになった。

今でもあの時の事を思い出すと、あの『不幸がお腹から突き破ってくるような感覚』がよみがえってくる。

しばらく家にいた。

元々、家にいる事がストレスだった妻は、これを機に働きに出るようになった。

しかし、本当に大変なのはここからだった。

家にいるとなると、家事は基本的に僕がやるわけだが、掃除も料理も、妻からありとあらゆるダメ出しを受ける毎日。

『ほこりが残ってる、ごはんの味が濃い、床に物が落ちている、これじゃいる意味がない、家にいて何もしないんだったらいないのと一緒』

今日現在ならはっきりとわかるが"モラハラ"の始まりだった。

お互いにメンタルが安定しないまま立場を入れ替えてしまったのが良くなかったのだと思う。

元々、妻にその気質がある事も否めないが…でもそれだけが理由ではないと思っている。

子供の不登校がいつまで続くのかもわからない。

在宅や夜勤での仕事を探して何とか自分を保つが、収入が安定しない。

もしかしてずっとこのままなんだろうか。

皆が良くある『普通の生活』を送っていた時、あんなに毎日が楽しかったのに。


もう無理だ
この人生を最後まで続けることはできない
何とか死にたい、死にたい。
明日死のう。今日がんばって、明日死のう。

文字通り『毎日』こういう事を考えてた。


恥も気にせず言うが、ちょうどこの頃「列ラジ」というYouTubeの生配信を毎週やってる時期だ。

多分、30回前後くらいの時期だと思う。

少なくとも肯定してくれる人達がここにいるというのが、まさに『生命線』になっていた。

夫婦の関係もぐちゃぐちゃで、具体的に離婚の話をし始めた頃、コロナが流行り始めて結局妻が仕事が出来なくなった。

仕方なく家族全員で家にいるうちに、何となくお互いの心持ちが健康的じゃなかったね、という話になった。

妻と二人で愛の不時着を見たり、リゼロを見たりしながら毎日を過ごした。

そして、一回目の緊急事態宣言が治まった(?)2020年5月。なぜか当たり前のように息子が学校に行き始めた。
(彼は恐らく、この時期の記憶が『コロナのせいで学校に行けなかった時期がある』くらいに書き換わっているだろう 笑)

そこでやっと僕は、会社員に戻った。

ようやく元の生活に戻れる…と安堵した

 


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実際には「元の生活」というにはまだまだ難しい事も多い。

そして、冒頭にも書いたような『妻のメンタル』と働く事とどういう風にバランスをとって行くか、いまだに毎日悩んでいる。

毎日、脇目も振らず働きたいと思う反面、家族みんなが幸せでいられるような立ち居振る舞いをしたい、とも思う。

今回の『自分入院→退院したら皆病気になってた』の流れで特にそれを考えて、またぐるぐる悩んでいる…


という、長文だけどそういうお話でした。