今日もベランダ日和

琴線に触れたニュースや出来事の感想をまとめていく場所になる…予定です

24日目 中学生の頃、日誌に書くことなくて困ってたな

いや、もうね。無いよ書くことが。

自分で決めた100日チャレンジ。いや、結構もう何日か飛ばしちゃってんだけどさ。

書くことをひる練習のために始めた事なんだけど、流石にほら、ほんとにもう毎日同じことの繰り返しでいよいよ書くこと無いんだって。

 

なんか、急に胃液の上がってくる懐かしい感覚を思い出したんだけど、これなんだっけ…。

って、ああ。わかった。これ中学生の頃の「日誌提出義務」の感覚に似てるんだ。

 

世間的にそれが普通なのか知らないが、僕の通ってた中学校には、日々のことを書き込む日誌が配られて、毎週月曜日に担任に提出する。

毎日、6限目までの時間割と「今日のコメント」という3行くらいのコメント欄を埋めるんだけど、それこそ毎日授業と部活やって帰るだけなのに「コメント」もなにもない。

当時はまだギリギリ体罰の文化が残っていた時代だったので、提出しなかったり空欄の日があったりすると担任から殴られたり踏みつけられたりしていた。

一度書くことがなかったので、部活後に通っていた柔道の道場であった事を書き込んだところ、担任から

「学校の外でこんなに楽しい思いをしてるっていう当てつけか、舐めてんのか」と背中に靴の跡が残るような形で蹴られて、その後雑巾で背中を拭かれた事がある。

 

ただただ「今日は〇〇の授業が楽しかった」「今日は〇〇を頑張った」というコメントしか書き込む事ができ無くなってくるが、そのうち担任も正解がわからなくなっていったようで、良いとも悪いとも言われず、たまに「もっとなんかないのか」という赤入れをされるに留まるようになってきた。

 

日誌の提出義務を経験して感じたのは「体罰に愛情を感じるかどうかは受け手の問題であって、体罰を行使する方の問題ではない。今でも当時の担任にあったらあの頃殴られ、蹴られた回数分ぶん殴ってやりたいし、その結果服を汚してしまったら雑巾で拭いて上げたいと本当に思っているくらいには恨みが残っている。強いて言うならあの時先生のことを『いつか●ろしてやる』と思っていた気持ちが反骨心となって人より強くなる事を意識し続けるエネルギーになった」ということだ。

 

あと、先生に感謝したい。

このネタ切れの中、一日分のブログのネタになってくれてありがとう。