いい人とは"都合の良い人"という意味である
20年前、じいちゃんが亡くなった時に、坊さんが言っていた。
「いい人わるい人というのは、自分にとって"都合の良い人"とか"都合の悪い人"とか、そういうことなんです」
本当にその部分しか覚えてないから、なぜそんな事を言ってて、結論が何だったのかは全くわからないけど、ともかくそういう事なんだという事だけは20年以上ずっと覚えている。
確かに思い返してみると、僕という人物が他人に紹介されるとき、九分九厘が『良い人です』と紹介される気がする。
20代の頃よく指名していたキャバ嬢は、僕の事を「変な要求しないし、アフター強要しないし、寝てても起こさないし、本当良い人!」と言っていた、と後に黒服のにーちゃんから聞いた。
パートに対してとるアンケートでも、僕という人間の評判は良い。内訳をみると「シフト希望を沢山言っても通してくれる」「欠勤の連絡をしても厳しく言わない」などと書かれている。
たまに母から電話が来ると「お姉ちゃんに言うと、厳しい事言われるからねぇ、なんか気弱なことは膝太郎に言うようにしてるよ」という。
子供たちは何か忘れ物や物をなくして困ったとき、妻ではなく僕に言う。一緒に探してもらえるからだろう。
ああ。
これはなんと見事なまでの都合のよさ。
こうしてみると、確かに僕という人間の都合のよさを、世間が「いい人」「優しい人」と変換して言っているような気がしてきた。
まあ良いんだ。いい人だろうと都合の良い人だろうと、僕自身が変わらなければ、周りも別に変わらない。
たまに、明らかに都合が悪くなって離れていく人がいて悲しくなる時もあるけど、とりあえず僕さえ今のままでいれば良いんだ。
しかし、こうなってくると気になるのは「あの時、坊さんは結局何を言おうとしていたのか」という事だ。
じいちゃんを弔うあの場で「いい人って周りに言われていても、それは"都合が良い人"って言われてるだけなんだから、いい気になるなよ」なんて事を言いたかったわけでは無いはずなのだ。
その前後で、死んだじいちゃんをほめるような話に繋がっているんだろうけど、どうしてもそれが何だったのか思い出せない…というか、ほんとにこの一節以外覚えていない。
このままでは、僕が都合の良い人だという事実確認だけで終わってしまう。
試しに父に聞いてみたが、この説法を全く覚えてなかった。
うう…こういう微妙にもやもやする案件ってどこに相談したらいいの?